また「クラブ吉田」に呼んでもらってDJをした。
前回は、わりとまじめにそれらしいテクノをかけて。DJっぽくしてみせたのだが、今回はもっと「オリジナルのやつとかやって欲しい」とTWRさんから言われていたので、自分も「どうせ人もいないんだし好きにやろう…」って感じのスタンスで気楽に吉田寮に赴いたよ。
ところが、10連休直前の夜だからか、クラブ吉田には大量の留学生たちが押し寄せていて、いつもとは全く違う様相を見せていた。
留学生たちは「今夜は遊び狂う!限界まで遊び倒す!」という確固たる決意を持って、ひたすらはしゃぎ踊り狂っていた。
そして私の前のDJ、ホソキさんの時には、その興奮が最高潮に達した。
このとき、私の中で無駄にプロフェッショナルな使命感のようなものが発動し、「この流れを止めてはいけない」みたいなことを無駄に考えた。しかし、同時に「この後にやるのか…やりにくいなあ…」とも思った。
そう、私は基本的にローテンションな人間なので、若者の騒ぎをアシストするようなプレイは苦手なのである。
そこで私は、「いったんアンビエントをかけて場をさまそう」と逃げ腰になり、あわよくばその間にハイテンションの学生たちが全員帰らないかなあと期待しながら、ペットショップボーイズとか懐メロをかけたりしていた。
しかし彼らはいっこうに帰る気配を見せず、退屈そうにだらだらするばかりだった。そこで仕方なく、おそるおそる「テクノで少し上げてみるかな」という感じになった。
また、ここで運営側から「お客さんがまだけっこういるので、もっとボリュームを上げてほしい」というような感じの通達が入り、ますます「アゲていく」しかない状態に追い込まれた。
私がボリュームを上げていくと、留学生たちは次第に息を吹き返し、また踊り始めた。だんだんボルテージが上がり、彼らは集団でリンボーダンスのようなことをやっていた。
だんだん私は映画の「スピード」じゃないけど、「時速80km以下になったら爆発して死ぬ」大量の乗客を乗せた暴走バスの運転手のような心理状態になってきて、
「ひいいいいい…!!」
と恐怖のあまり心の中で叫びながら、危うい手つきでハンドルを操作し、アクセルを踏んでいたのであった…。
…とまあこんな具合で、なんとかぎりぎりのレベルでお役目を果たしたと言えるかもしれない…。
私が終わるころには大体人はハケて、ホソキさんがまたブースに立っていた。
ホソキさんは、今はうって変わって渋いダブのプレイに徹していて、どうやらこれが本来の彼がやりたかったことらしかった。
「もともとこういう趣味の人なのに、あの時間帯では盛り上げるプレイが出来るなんてすごいなあ」と思った。
(遅い時間帯にホソキさんがかけていた曲。大阪のアーティストらしい。これに金沢明子のレコードをエフェクトかけまくりで混ぜ、だいぶディープな雰囲気になっていました。)
やっぱり人が盛り上がるのって、理屈じゃないっていうか、場数なんだよなあ…。
あらためて曲の持っているテンションの違いとか、対応の幅広さとか、そういうことを考えました。
無事(?)お客が減ったので、私はもう一度ブースに戻って、自分の曲でライブとかDJをさせてもらった。
ライブはけっこう轟音だったと思うけど、遅い時間帯なのでみんな寝ていた。
そのうちバーカウンターでしゃべっている人が全員帰り、フロアにいる人も全員寝落ちしているのを確認したので、最後にアンビエントをかけてプレイを終了し、私も帰宅した。朝5時ころだったと思う。
そういえば、関係ないけどこの日TWRさんと「ヴェイパーウェイヴ」の話をした。
自分はどうもこのジャンルのことが良くわからないな~と前から思っていたんだけど、彼はけっこう詳しくて、その魅力がどこにあるのか教えてくれた。
いわく、「90年代のキラキラした雰囲気が虚しさとともによみがえってくる感じ」
ということだった。
なるほど~…
30代くらいの人と話していると、どうやら90年代のまだ明るい前向きな雰囲気が、幼少期の記憶としてかすかに思い出されるらしく、彼らにとっては、あの当時のアニメの画像とか、CGとか、シンセサウンドとかが、強烈に郷愁をさそうらしい…。
それでいて、当時世界が思い描いていたキラキラした明るい未来は実際には訪れず、今のような殺伐とした管理社会になってしまったことから、同時に空虚さを感じさせるイメージでもあるということだった。
何か分かった気がする…。
まあ自分なんかは、90年代といえば、80年代のバカバカしくもダサすぎる文化を乗り越えて、ようやく到達したオシャレな文化が花開いた時代だというふうに認識している。
当時はもう20代後半だったから、TWRさんたちよりも、もうちょっと客観的というか、距離感を持ってとらえているんだよね。
だから、90年代に幼年期を過ごした人からすれば、もっとあの頃の文化が
「ぽわわわわ~ん…」
て感じで記憶されてるんだろうな、ということが推察できた。
世代の違う人に教えてもらわないと、どうしても理解できないことってあるんだな、と思った。
まあいろいろ勉強すべきことはある。
「勉強」って言っても、知識とかそういうことじゃなくて、人間の中にある実感みたいなことかなあ。
いろいろ学ぶことの多い日でした。
「LoFiヒップホップのコンピ」企画中。
デモ募集してます!!
5/15 締切。
一曲あたりの長さ2分以内でお願いいたします(長い曲はこちらでカットするかも)。
複数曲の応募も可です。よろしくお願いします!!
デモはこちらまで!
Easy + Niceからのリリースで、一番若い世代のアーティスト。これはヴェイパーウェイヴじゃなくてサウンドクラウド・ウェイヴっていうのか?不勉強すぎる自分…。
前回は、わりとまじめにそれらしいテクノをかけて。DJっぽくしてみせたのだが、今回はもっと「オリジナルのやつとかやって欲しい」とTWRさんから言われていたので、自分も「どうせ人もいないんだし好きにやろう…」って感じのスタンスで気楽に吉田寮に赴いたよ。
ところが、10連休直前の夜だからか、クラブ吉田には大量の留学生たちが押し寄せていて、いつもとは全く違う様相を見せていた。
留学生たちは「今夜は遊び狂う!限界まで遊び倒す!」という確固たる決意を持って、ひたすらはしゃぎ踊り狂っていた。
そして私の前のDJ、ホソキさんの時には、その興奮が最高潮に達した。
このとき、私の中で無駄にプロフェッショナルな使命感のようなものが発動し、「この流れを止めてはいけない」みたいなことを無駄に考えた。しかし、同時に「この後にやるのか…やりにくいなあ…」とも思った。
そう、私は基本的にローテンションな人間なので、若者の騒ぎをアシストするようなプレイは苦手なのである。
そこで私は、「いったんアンビエントをかけて場をさまそう」と逃げ腰になり、あわよくばその間にハイテンションの学生たちが全員帰らないかなあと期待しながら、ペットショップボーイズとか懐メロをかけたりしていた。
しかし彼らはいっこうに帰る気配を見せず、退屈そうにだらだらするばかりだった。そこで仕方なく、おそるおそる「テクノで少し上げてみるかな」という感じになった。
また、ここで運営側から「お客さんがまだけっこういるので、もっとボリュームを上げてほしい」というような感じの通達が入り、ますます「アゲていく」しかない状態に追い込まれた。
私がボリュームを上げていくと、留学生たちは次第に息を吹き返し、また踊り始めた。だんだんボルテージが上がり、彼らは集団でリンボーダンスのようなことをやっていた。
だんだん私は映画の「スピード」じゃないけど、「時速80km以下になったら爆発して死ぬ」大量の乗客を乗せた暴走バスの運転手のような心理状態になってきて、
「ひいいいいい…!!」
と恐怖のあまり心の中で叫びながら、危うい手つきでハンドルを操作し、アクセルを踏んでいたのであった…。
…とまあこんな具合で、なんとかぎりぎりのレベルでお役目を果たしたと言えるかもしれない…。
私が終わるころには大体人はハケて、ホソキさんがまたブースに立っていた。
ホソキさんは、今はうって変わって渋いダブのプレイに徹していて、どうやらこれが本来の彼がやりたかったことらしかった。
「もともとこういう趣味の人なのに、あの時間帯では盛り上げるプレイが出来るなんてすごいなあ」と思った。
(遅い時間帯にホソキさんがかけていた曲。大阪のアーティストらしい。これに金沢明子のレコードをエフェクトかけまくりで混ぜ、だいぶディープな雰囲気になっていました。)
やっぱり人が盛り上がるのって、理屈じゃないっていうか、場数なんだよなあ…。
あらためて曲の持っているテンションの違いとか、対応の幅広さとか、そういうことを考えました。
無事(?)お客が減ったので、私はもう一度ブースに戻って、自分の曲でライブとかDJをさせてもらった。
ライブはけっこう轟音だったと思うけど、遅い時間帯なのでみんな寝ていた。
そのうちバーカウンターでしゃべっている人が全員帰り、フロアにいる人も全員寝落ちしているのを確認したので、最後にアンビエントをかけてプレイを終了し、私も帰宅した。朝5時ころだったと思う。
そういえば、関係ないけどこの日TWRさんと「ヴェイパーウェイヴ」の話をした。
自分はどうもこのジャンルのことが良くわからないな~と前から思っていたんだけど、彼はけっこう詳しくて、その魅力がどこにあるのか教えてくれた。
いわく、「90年代のキラキラした雰囲気が虚しさとともによみがえってくる感じ」
ということだった。
なるほど~…
30代くらいの人と話していると、どうやら90年代のまだ明るい前向きな雰囲気が、幼少期の記憶としてかすかに思い出されるらしく、彼らにとっては、あの当時のアニメの画像とか、CGとか、シンセサウンドとかが、強烈に郷愁をさそうらしい…。
それでいて、当時世界が思い描いていたキラキラした明るい未来は実際には訪れず、今のような殺伐とした管理社会になってしまったことから、同時に空虚さを感じさせるイメージでもあるということだった。
何か分かった気がする…。
まあ自分なんかは、90年代といえば、80年代のバカバカしくもダサすぎる文化を乗り越えて、ようやく到達したオシャレな文化が花開いた時代だというふうに認識している。
当時はもう20代後半だったから、TWRさんたちよりも、もうちょっと客観的というか、距離感を持ってとらえているんだよね。
だから、90年代に幼年期を過ごした人からすれば、もっとあの頃の文化が
「ぽわわわわ~ん…」
て感じで記憶されてるんだろうな、ということが推察できた。
世代の違う人に教えてもらわないと、どうしても理解できないことってあるんだな、と思った。
まあいろいろ勉強すべきことはある。
「勉強」って言っても、知識とかそういうことじゃなくて、人間の中にある実感みたいなことかなあ。
いろいろ学ぶことの多い日でした。
「LoFiヒップホップのコンピ」企画中。
デモ募集してます!!
5/15 締切。
一曲あたりの長さ2分以内でお願いいたします(長い曲はこちらでカットするかも)。
複数曲の応募も可です。よろしくお願いします!!
デモはこちらまで!
Easy + Niceからのリリースで、一番若い世代のアーティスト。これはヴェイパーウェイヴじゃなくてサウンドクラウド・ウェイヴっていうのか?不勉強すぎる自分…。