Easy + Nice レーベルのblog

アンビエント・ダブテクノなどを作る電子音楽家・Wakiによるブログ。 元々は運営している音楽レーベル「Easy + Nice」の情報発信のために立ち上げたものだが、最近は音楽制作全般や日記的なもの、哲学的なものが中心になってきている。

2021年08月

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最近、名付けようのないもの、ジャンルに当てはまらないもの、未知なものがまた聴きたくなって、それでいてもちろん、聴き心地の良いものでなくてはならないとすると、それは何なのかと思って逡巡していた。

最初のうちは、ただ何を聴いてもあまり面白くない、と言う状態が続いて、それはもしかしたら軽い鬱みたいなものかと思って、こんなご時世ではそれも無理のないことだと納得しかけていたのだが、次第にこの「面白くない」と感じる原因が何なのかわかり始めた。

それは、自分が音楽を聴くとき、どうしてもジャンル的に聴いてしまっている、ということだった。

クラシックだったり、ジャズだったり、ヒップホップだったり、トランスだったり、何を聴くにせよあらかじめジャンルとしてまずカテゴライズしてしまっていて、それを聴いている、ということに気がついたのである(作家別に聴くことも含む)。

多分、真にエクレクティックで良質なラジオのようなものがあれば良かったのだろう。

次に何がかかるのか分からず、それでいて毎回新鮮な驚きがあるような音楽の連なり、どうやらそういうものを自分は欲しているようだった。

おそらく最初にEasy + Nice レーベルを立ち上げたとき、そういうものを目指して発足したはずである。
 
このところちょっと、自分の頭の中がジャンル的になりすぎていたようだ。 


そうしてまたSoundcloudとかBandcampとかを彷徨っているうちに、今自分が求めているものがだんだん分かってきて、それは奇妙なことだけど、乱暴な言い方をすればやはり「アンビエント」と言えるようなものなのだった。


「アンビエント」という言葉でまたジャンル的な発想になってしまわないよう気をつけなければならないが、まあ消極的な意味での「アンビエント」、とにかく言葉で何か言わなければならないとすればこの言葉が一番近い気がする。

 
この場合の「アンビエント」は、自分にとってはジャンルから最も離れた何か、カテゴライズできないような音の連なり、しかしそれでいて不快でない状態を表すものとして機能している。 


「ノイズ」という言葉もかなり自分の求めるところに近いものを指し示しているのだが、自分にとってはこの言葉は、残念ながらややジャンル的な印象が強くなってしまっている。

「アンビエント」の方がまだややジャンルの呪縛から逃れられている気がする。もちろんこれは自分にとってそうだというだけのことだが。


言葉なんて何も必要ない、ただ音楽を聴けばいい、というのは本当にそうだと思うんだけど、街中を歩くときに信号や標識を意識しなくては歩けないように、自分が必要なものを探すときに何か懐中電灯のようなもの、指針のようなもの、杖のようなものが必要になるときがある。 

 「アンビエント」は自分にとってはそういうツールのようなもので、ある種の軽いマントラのようなものだ。

だがもしそれを大真面目に捉えてしまっては多分、また呪縛になってしまう。

あくまでも、未知なものに出会うための一つの指標、転ばぬ先の杖のようなもの、大雑把で目の荒い網、そこらへんで拾った木の枝のようなものでなくてはならない。


月を指す指に囚われてはいけない、とよく言うけれど、言葉とはまさにそういうもので、大事なのはもちろん自分が必要とするものに辿り着くことだ。




 

シン・エヴェンゲリオン見た。これだけのイメージを具現化できるのはすごいとしか言いようがないね。

それにしても何だこのストーリー…。

前半の圧倒的な映像美にくらべるとクライマックスは、ちょっと手抜きしたように感じられた。それでもところどころ非常に印象的なカットがあり、全体としてはやはり傑作だと思った。

大きなストーリーを求めてしまうと、この人の場合はひじょうに陳腐になってしまうのは自分でも分かってるんだろう。細部とニュアンスにとても力のある作家。

庵野は安野に出会って一人で生きるのをやめたのか…?

それにしてもひどいストーリーだ…。ひどすぎてちょっと安心するけど。

ケンスケがシンジを梶の息子のところに連れていった帰りの夕暮れのシーンがとても美しかった。ここだけでもこの映画には価値がある。自分はわりといつもそういう見方をしてる。

物語の中に何度も出てくる「インパクト」って言うのは今までエヴァのシリーズが世間に与えてきたインパクトのことで、シンジがエヴァに乗りたくない=もう新作作りたくないってことなのだろう。

それでもこのシリーズに落とし前をつけるために最後の搭乗をする=自分のしょうもなさ、中身のなさに向き合うってことか。清々しすぎるなー。


何か大きな思想がありそうに見せかけて、わりとしょうもない実体しかないときに「こんなもんでした~」って開陳するのは勇気がいるもんね。勉強になるわ…。


雰囲気作るのはうまいけど、中身のない作家。浦沢直樹とかもこのタイプだよな。

こういう人はそれでいいのだ、っていうのがこの作品の主旨なんだろう。大きなストーリーへのオブセッションとの闘い。


大きなストーリーを求める圧力=宮崎駿的なもの=碇ゲンドウ。

それに対して「お前どうせ女が好きなだけなんだろ…」って言ってるような気がする。


大きな物語なんて、結局細部を目立たせるためのエクスキューズだろ、っていうのが彼の本音だと思う。そのわりには真面目に悩んだ、もしくは今まで悩むふりをしてた、ということか。


そうだよ!俺は女が好きなだけなんだよ。それのどこが悪いんだ?てな感じ?

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いろいろと勉強になりますね…(笑)。

私がこのソフトウェアに夢中になっている間、音楽は好きだけど個別の音楽制作ソフトなんかに興味がない人は、私が何かトリビアルなことに耽溺しているのを見て、呆れているだけかもしれない。

まあそれはそうだろうと思う。

meta

ソフトウェアやハードに対する興味は、私にとっては基礎研究のようなもので、それが制作に直接つながることもあるし繫がらないこともある。

それでもこれは私にとって、制作と不可分なのだ。多分、ピアニストやギタリストでも多少は似たような感覚はあるんじゃないだろうか。

少なくとも自分は、五線譜とペンさえあればいいというタイプの作曲家ではないようだ。 


この驚くべきソフトと向かい合っているとき、私はいくつかの感慨を抱かずにはいられなかった。

 一つは、MetaSynthが他のソフトと全く異なった進化ルートを辿ってきたために、操作性が独特すぎてなかなか慣れることができない、ということだ。

現在主流となっているDAWによる音楽制作は、ある意味で洗練の極みに達していて、改良しうる部分はほとんど改良し尽くされた感がある。

各メーカーがお互いを参照しあって発展してきたせいか、操作のやり方もかなり似通っている。
 

自動車でいうと、マツダの車かトヨタの車かぐらいの違いしかないんじゃないだろうか。これはちょっと言い過ぎかな。


 MetaSynthにはどこか、中世パソコンソフトの名残みたいなのがあって、Windows XP時代のソフトなんかを彷彿とさせるところがある。

GUIもそうだし、その独特すぎる操作性には、まるで生きた古生物を目の当たりにしたときのような、敬虔な気持ちに似たものを感じる。


「俺の機能を使いたいなら俺のやり方を受け入れるしかない」


というメッセージのようなものを感じる。

考えてみれば、昔のソフトって全部そんな感じで、ユーザーはひたすらメーカーの作ったインターフェイスに慣れる以外なかった。


今のDAWはミュージシャンの圧倒的な量のフィードバックを受けてか、痒いところに手が届くようになっている。

もしDAWに使いにくさがあるとすれば、機能が多すぎてどこから手をつけていいか分からないことぐらいじゃないだろうか。 


MetaSynthには、ユーザーよりメーカーの方に圧倒的なパワーバランスがあった時代の空気感がある。

それは悪く言えば、メーカーからユーザーがサービスを「賜っていた」とでもいうような感覚であり、いい意味で言えば、優れた設計者が作ったはずのものを「信じようとする」敬虔な気持ちだとも言える。 


DAWは、自分が何を作りたいのか分かっている人には非常に有用なツールだと思う。しかし私のように、自分が何を作りたいのかハッキリと分かっていない人間、もっというと「自分の想像を超えてほしい」と常に願っている人間にとっては、必ずしも役に立たないのである(編集のときには必ずDAWを使っているが)。

 いや、これはあくまで自分にとってのみ当てはまることかもしれない。DAWでうまく偶然性やクリエイティビティを発揮している人々はいると思う。 

最近の私はというと、MetaSynthばかり触っていて、たまにちょっと離れて DAWに戻ってその操作性に感動するものの、しばらくするとまたいつの間にかMetaSynthをいじり始めている。


私は多分MetaSynthに何か、 自分の意図を超えたものを期待しているんだと思う。




MetaSynth習作シリーズ。まだ可能性を探っている段階。










MetaSynthを使った最初の作品集。とにかくファーストインプレッションを残しておきたかった。こういうものは多分、習熟してくると出来なくなるだろうと思ったので。


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MetaSynthというソフトをどうしても使いたくなって、そのためにわざわざMacを友達から買った。

評価版が中途半端な作りだったので、もう思いきって製品版を手に入れた。
 
このMetaSynthについては、自分はうかつにも最近までその存在を知らなかったんだけど、1990年代後半にはもう最初のMetaSynthがリリースされていて、当時ずいぶん話題になったようだ。

映画「Matrix」とかの特殊効果音にも使われたらしい。 

 自分は今までずっとWindowsのユーザーだったので、Macオンリーのソフトの情報に疎かったせいもあり全然その存在に気づかなかった。 

「音を画像として処理して、エディットする」

というコンセプト自体は、Izotope Irisとか、アレクサンダー・ゾロトフのVirtual ANSとか、今まで全く知らなかったわけではないのだが、MetaSynthはその「処理の仕方」が非常に独特だ。

それはとても「音楽的」と言っていいと思う。

MetaSynthのエディットはただ単に「画像を処理する」というだけではなく、それが音楽的に有意な結果をもたらすように注意深く設計されている。

 
 例えば、スペクトログラムを音に変換するとき、スケール(音階)を選ぶことができる。

これはすごい発明だと思う。

同じ画像でも適切なスケールを選ぶことで、単なる偶然性を超えた意味のあるサウンドになる。


自分がこの手のソフトに求めているのは偶然性と自分の意図とのバランス、自分の予想とそれをいい感じに超えてくる結果とのバランスだと思う。


MetaSynthはそこが絶妙にできているから、楽しく遊ぶことができる。


あとは出音。出音が素晴らしい!

2021年の今となってはリリース当時ほどの衝撃は感じないかもしれないけれど、私自身はそれでも十分に驚愕した。

 いい意味でのデジタル感。SFチックというか、細かい粒子が漂ってくる感じ。

この出音の質感がクセになる。

多分、スペクトログラムを単に正弦波で再生するのではなく、専用のシンセサイザーを使っているところにも秘密があるのだと思う。


とにかく、制作のときに「自分の意図を超えてほしい」という欲求と、その結果が「音楽的に心地いい」ものであるという、なかなか両立しにくい要素を兼ね備えているところがこのソフトの魅力である。



MetaSynthについて動画で解説しました。まだ勉強の段階ですが、とりあえずファーストインプレッションということで。
 

いたづらに時間をかければいいってもんじゃないけど、物事が収まるところに収まるためには、それなりに時間をかける必要もあったりする。

自分が時間をかける、というよりは作品が成熟するための時間が必要なのかな。

作品づくりもそうだし、こんな記事とかでもそうだけど、それなりに生命みたいなものを持っていて、落ち着くところに自ら落ち着くためにそれぞれ固有の時間を持っている。
 

何かを作ろうとしていて、それがまとまって来ない時にこっちは結構イライラしたりもするけど、まあ根気よくそれとつき合って、場合によってはしばらく放置したりして…。 


どこかのタイミングで必ず完成する。 


 そう思うことにして気長に育てる。





MetaSynthを使って作られた最初の作品集。自分にとっては新しいソフトの音なので、マスタリングにだいぶ手間取った。やはりどこかでブレイクスルーがあり、とつぜん音がまとまった。

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