Easy + Nice レーベルのblog

アンビエント・ダブテクノなどを作る電子音楽家・Wakiによるブログ。 元々は運営している音楽レーベル「Easy + Nice」の情報発信のために立ち上げたものだが、最近は音楽制作全般や日記的なもの、哲学的なものが中心になってきている。

カテゴリ: 日記

コロナに初めて感染した。

思った以上にきつくて、最近は症状が軽くなってきているという話を聞くが、自分的にはもう死ぬかなと思うくらいしんどかった。

(これでもおそらく「軽症」というカテゴリーに分類されてしまうのだろう。非常に理不尽である…。)


一番きつかったのはのどの痛みで、唾を飲みこむのも痛く、湧いてくる唾を全部トイレで吐いた。

医者では痛み止めなどの対症療法しか出されないので、ひたすらロキソニンを飲んでごまかしていたが、治るかどうかとても不安だった。


もうこれは永遠に続くのか、どこかで死んでしまうかぐらいに思っていたが、一週間を過ぎたあたりからようやくちょっとずつ回復してきた。

どうやら大きな峠は越えたらしい。


そして発症から20日近くがたった。


いまだに具合はちょっと変で、不快感や倦怠感が残っている。この病気は後遺症が残ることが多いらしく、1-2カ月はおとなしくしていた方がいいと言っている人が多い。



しかしちょっと元気になってくると、つい何か音楽をやろうと思っていろいろ触ってしまう。すぐに疲れるから長時間は出来ないが。


やはり音楽をやるには、それなりに元気というか集中力が必要なのだなと再認識した。


たとえば、Novationのサンプラーなどは、機材も小さいし自分にかかる負荷が少ないだろうと思ったが、意に反して持った瞬間に吐き気がするほどのストレスを感じた。


そんなふうにしていろいろなツールをいじってみたが、意外にも一番負荷が少ないのはソフトのモジュラーシンセ、VCV Rackであった。


おそらくその理由は、VCV Rackだと放っておいても音が持続するところじゃないかと思う。そこにまず心理的な安心感があるのかもしれない。


たいていの楽器では、音を出すために鍵盤を押すなど何かアクションが必要だ。しかしモジュラーシンセだと基本音が出っぱなしなので、何もアクションをしない間でも音が出続ける。

そんなわけで今は、主にVCV Rackでリハビリをしている。


一見操作がややこしそうなモジュラーシンセのソフトが一番楽に感じるのは不思議。



病み上がり一発目。

プレゼントにちょっと楽し気なLEDライト(フライングタイガー製)をいただいたのだが、これが何かいろいろ謎すぎて、だんだん怖くなってきたので結局捨ててしまった。

(くれた人ホントにすいません)

べつに捨てることないだろと思うかもしれませんが、これが本当に気味悪いんですよ。


このLEDライトがどのように気味悪かったのかをこれから説明します。



①まず、箱に各国語で「音に反応して光が点滅します」みたいなことが書いてあるが、何故か日本語のところだけその部分がマジックで黒塗りされている(こわい)

②じっさいのところ、音には反応しない(まあそれはいいとして)

③音には反応しないのに、地震が起こったときは必ず点滅する(こわい)

④それなら振動に反応するのかなと思って、ライトを叩いたり揺らしたりしたけど、全く反応せず(意味が分からない)

⑤関係ない別のLEDライト(別メーカーの別製品)を操作すると、なぜかこっちもそれにつられて点滅する(こわすぎ)



というわけで、どういう仕組みになってるか分からなすぎて気持ち悪いのでついに捨てました。


本当すいません。

でもくれた人もそんな訳の分からないものは捨てた方がいいと言っていました。


電磁波に反応してるのかなあ…。

でも携帯とかには反応せんのよ。


マジで怖いわ。





どういう仕組みになっているのか知りたいタイプです。最近作った動画でも、あるシンセの仕組みについて解説しています。

アンビエントの専門チャンネルを作りたいという考え自体はずっと前からあった。


最近、外国の方で、アンビエントチャンネルを新たに開設したいから、週に一度くらいのペースで30分から一時間くらいの曲を作ってくれないか、というような話があった。

彼は以前テクノのチャンネルで9万人くらいの登録者を持っていたそうだ。

しかし、毎週一時間ぐらいのトラックをずっと作り続けるなんて、だいぶべらぼうな話だなあと思いながら、それでも興味はあったので、彼が推奨するチャンネルなどを参考にしながら、試しに一曲作って送ってみることにした。


「お前の音は暗いから、なるべく明るくしてくれよ」


と事前に釘を刺されていて、自分としては最大限明るく作ったつもりだったが、果たして送ったものを聴いたらやっぱり彼の求めるものより大分暗かったようだ。


まあ分かる。


自分の生来の傾向からずれたことって、ちょっと無理してやっても結局うまくいかないんだよね。

一見似たような感じだから、余裕でできるっしょ、とか思ったけどそうでもなかった。


そんなわけで、いったんこの話は立ち消えになって、ちょっとがっかりもしたのだが、だんだんと「それならいっそ自分で全部やるか…」という気持ちになってきた。


まあちょうどいいタイミングかもしれない。


考えてみれば、自分の音は、確かに彼の理想とする既存チャンネルと比べると暗いかもしれないが、いわゆる「ダークアンビエント」とかに比べれば全然暗くない。


要するに塩梅の問題というか。


自分の音楽は、正確に言えばアンビエントというよりは、ちょっとメディテーション用のドローンに寄ってる。

そういうものが好きな人も世の中にはある程度いるんじゃないか、という気もする。


正直言うと、彼が聞かせてくれたようなチャンネルだと、自分にとってはあまり機能しないというか、最初聴き始めはいいなと思うんだけど、ずっと聴いているともういいかなってなる。

食べ飽きる味というか。
(ディスっているわけではありません。あくまで好みの問題なので悪しからず)


そんなわけで、さっそく自分でアンビエントチャンネルの開設に向けて作業を始めた。興が乗ってしまったので、わりと集中して取り組んでいる。


チャンネルのビジュアルとかの体裁を整えたりもした。

icon

いかにもという感じ(笑)だが、これは例によってAIが作った画像である。


最近アンビエントチャンネルずいぶん増えた気がするけど、いろいろと研究用に見てると、どれもビジュアルはAIで作ってるところが殆どだ。


なのでまあありきたりというか、代わり映えしない感じになっちゃうけど、そういう似たようなAI画の中でどれをチョイスしていくか、というところに微妙に自分のセンスが反映されればいいなーと思っている。


さて肝心の音の方だが、参照用のチャンネルを見ていたら、自分の持っているシンセとしてはArturiaのPigmentsの音質が一番馴染む感じがしたので、最初Pigmentsで作るつもりでいた。

しかし実際に作業に入ってみると、Pigmentsというか、いわゆるVSTインスツルメント的なシンセ全般では思ったようなタイム感を得るのがなかなか難しくて、結局いまのところVCV Rackを使って作っている。


単純な話だが、ふつうのシンセだとドローン音を出すためにずっとサスティン状態にしとかないといけない。VCV Rackならほっといても音が鳴らしっぱなしに出来るので、そういう基本的な仕様が大きい。

それでも、10分くらいのトラックならサスティンしたPigments一台だけでいけると思う。30分とか一時間とかになると、もうちょっと要素を増やさないといけないので、複数台のPigmentsをサスティンさせて使うことになる。それだとあっちにいったりこっちにいったりするので、自分にとって作業効率が悪くなる。


だから今のところ、音質というよりはワークフローの方を優先させている感じ。


しかし作り方なんてそのうち変わる可能性もある。


何しろ週一か2週間に一本のペースでやり続けるとしたら、飽きなければ数十本か数百本の動画を作ることになる。


その間にはいろいろ変化もあるだろうと思う。




アンビエント専門のサブチャンネルDeep Ambient Exploraion開設しました!

最初の動画は、例のテスト向けにめいっぱい明るめに作ったやつなので、これ以降だんだんと地味で暗い音になっていく可能性は高い。よかったら登録してね。

私はわりと自分のことを存在感がない方だと思っていて、極端に言えば透明人間や幽霊のように、誰からも気づかれずにこの世界を観察しているのだと錯覚してしまうことがよくある。


そして、こういう感覚で生きている人って意外と多いんじゃないかとも思う。


しかしそれは大きな間違いであるかもしれない。


人間一人の存在感というものは(良きにつけ悪しきにつけ)とてつもないものだ。

それが誰であろうと、誰かが近くにいるといないとでは全く空気感が変わってくる。


自分に置き換えてみれば、自分が一人だけでいるときと、誰であれ他人が近くにいるときとでは自分の気持ちがかなり異なってくるのは明白だから、それは他人にとっても同様のはずだ。


しかし何故かこと自分自身が回りに与えている影響については、つい軽く見積もり過ぎてしまう傾向にある。

無意識のうちに、世界というものは自分から切り離されて自動的に動いており、自分が強く意図してそこに関わろうとしない限りは、自分は何の影響も与えていないのだと思い込んでしまっている(ちょっとニュートン力学っぽい考え方だ)。


しかし何でそんなふうに思ってしまうのか。


それにはいくつか理由があると思っている。



むかし友人にこんなことを言われたことがある。


「お前はまるでテレビでも見ているような感じで世界を見ているけど、周りもお前のことを見ているんやで…」


そう言われたとき、当時の自分が思ったのは、「自分なんかは何の面白みもないし、いてもいなくても同じようなものだから、一瞬誰かの目に入ったとしてもすぐ素通りするだろう。実質いないようなものだろ」ということだった。


つまりありふれた存在だから、他人からは見えていないも同然だということだ。


しかし実際には、私たちは「マナー」として、他人にあまり露骨な視線を送らないようにして、可能な限り自然にふるまっているに過ぎない。


たとえば私の場合、自分の住んでいる地域には殆ど知り合いがいないので、近所の人たちも私のことをアノニマスの一人として「マナー上」視線を送らないでくれている。


しかし実際には何度も顔を合わせているので、ひとりの個性を持った人間として認識されている可能性はもちろんある。


まあそういうごく当然のことさえ忘れて、ふだん何となく生活してしまっているのだ。


あともう一つは、単純だが自分自身の姿が自分の視点から見えない(笑)というのが大きい。だから何となく自分だけは世界の中に存在していないような気持ちになってしまうのだ(こうして改めて書くとバカみたいだけど)。



いずれにせよ、自分が存在していないという前提に立って周りの人の言動を解釈してしまうことで、自意識過剰であるのと同じくらいに、周りで起こっていることを不正確に認識してしまっているかもしれない。

自分が彼らの世界の中に「存在している」ことを前提に、彼らの言動を吟味してみると、(たとえ彼らがあたかも私を存在していないかのようにふるまっていたとしても)、やはりそれは私を含んだ世界に向けて発せられているのだ、ということに改めて気づく。


そうなるとすべての現象は、自分にとって全く意味が変わってくる。



人間は他人を何のバイアスもなく、「客観的に」見れているような気になっている。だが実際には、自分が影響している世界の中で他人の有り様を見ているだけなのだ。


つまり、言い換えれば、他人の言動は、ある意味では全て自分に向けられたメッセージなのだとも言える。


そう思うと、孤独感みたいなものは大分減るかわりに、自分の社会に対する責任みたいなものを肌身に感じてちょっと怖くもなる。


自分が存在しているということ、それを意識しながら世界の中で生きるというのは、自分にとっては意外と難易度の高いことかもしれないと思う。

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Kさんは映画のプロデューサーのようなことをやっていた人で、私より一まわり近く年上で大学の先輩に当たる人だった。


会うと二言目には


「どうだ、お前の音楽はどれくらい売れているんだ」

と聞かれるのでいつもうんざりしていた。


しかし当時私は若かったし何のツテもないので、呼び出されるともしかしたら何かいいことがあるかもしれないとか思って、街までノコノコ出て行ったりしていた。

(これは今流行りの告発とかでは全くありません…。)



彼の配給会社の事務所で、一人で留守番をするだけのアルバイトをしばらくやっていたことがある(時給500円)。

それほど広くはない都会のオフィスで、一日中一人でぼーっと電話を待つだけの簡単なお仕事だ。

夕方になると、窓から見えるビル街がなかなか壮観で、それを見ながらブレードランナーの音楽を大音響でかけたりして遊んでいた。


たまに電話がかかってくるのだが、それはたいていK氏からで、

「どうだ。何か連絡はあったか。」

と聞かれるが「何もありません」と答えるだけだった。



彼はいつもナチュラルに横柄な感じだったから、私の仲間うちでは評判が悪かったが、まあ悪人というわけではないと思う。

「お前の方がよっぽど悪人だろ」

とか言われたりした。


あるときアルバイト代があんまり安かったので「もう少し上げてくれ」と頼んだら、

「何か自分で仕事を考えて、価値を作り出したらバイト代を上げてやる。ただ留守番するだけならそんなもんだろう」

と言われた。


まあもっともなことである。


彼にしてみれば、仕事のない若者を助けてやっているという感じだったのだと思う。


K氏は、日本で大ヒットしたヨーロッパのマイナーな映画監督に早くから目をつけていたり、ディズニーの「アンツ」よりずっと前にCGのアリの映画を構想したりしていたから、映画に関しては見る目はあったのだろう。

その後、映画界のある筋では第一人者のような存在になったと聞く。



もう何十年もK氏と会ってないが、彼のあの横柄な態度を思い出すと、何故か笑いがこみあげてくる。


「どうだ、お前の音楽はどれぐらい売れてるんだ」

「そうですね…。まあぼちぼちですかね…。」


今ならそう答えるかもしれない(多少の見栄も込みで)。

VGVW_Ebj

※よくよく思い返してみたら、ドラマやドキュメンタリーとかの劇伴のお仕事をもらったこともあった。実はけっこう世話になってる。こういう態度だから「悪人」とか言われるんだよな。

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